■概要・見所 寛文9年(1669年)のシャクシャインの戦いの拠点として重要な役割を果たしたといわれる、静内川流域にある真歌のシベチャリチャシ跡、目名のメナチャシ跡、農屋のオチリシチャシ跡、豊畑のルイオピラチャシ跡と、門別町厚別川上流にある正和のアッペツチャシ跡をいいます。 チャシはアイヌ語で「柵」「囲い」「砦」などを意味することばです。砦、見張り台、儀式を行う場所、住居等々、様々な目的のために築かれ、使用されたものと考えられています。 多くの場合、海や川などに面した眺めの良い丘や崖上に築かれ、その一端、あるいは周縁には1から数本の溝注が掘られています。構築年代は、近世の文献や発掘調査の成果などから、16〜18世紀と考えられています。 現在、北海道内には500箇所をこえるチャシ跡が確認されています。このうち、およそ3分の2は、日高から十勝、釧路、根室地方で確認されたものです。静内町では、国指定された上記5箇所のチャシ跡を含む18箇所のチャシ跡が確認されています。 |
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