■概要・見所 1856(安政3)年、函館奉行は現在の函館市日ノ浜町近隣の海岸の砂鉄を利用し、製鉄や大砲の鋳造を企図し、幕府の許可を得て、蘭学者武田斐三郎が築造しました。日本で最も古い西洋式高炉の一つです。 しかし、ほとんど使われることなく、そのまま放置されました。現在、建物基礎の部分が残っています。 【産業遺産/北海道産業考古学会会長・山田大隆】 (工場)日本の洋式製鉄は、幕末の蘭学書での各藩高炉反射炉で開始、北海道でも函館奉行が蘭学者武田綾三郎に命じて、恵山日ノ浜海岸の砂鉄を用いて古武井川に1858(安政5)年に高炉を造成させた。川に水車をかけその動力でフイゴを駆動する本格型だが、風力弱く、砂鉄にチタンが多く、出銑口が閉塞して失敗、63年の台風で倒壊し、以後放棄された。耐火レンガの焼き竃が女那川にあった。高炉土台が現存し、製鉄出土品は恵山郷土博物館内にある。 |
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