■概要・見所 依田勉三(1853〜1925)は晩成社を結成し、1886(明治19)年に現在の大樹町に入植した人物です。開墾は困難を極め、ほとんどの作物は失敗に終わりましたが、その失敗が十勝の産業の基礎を築きました。建物はこけら葺きの切妻屋根で、東側に下屋を架けています。桁行3間、梁間2間の平入りで、間取りは西側から風呂場・物置、土間、畳4畳敷の居間と並びます。勉三は1915(大正4)年までここで生活していました。建物は1890(明治23)年の火災焼失後に再建されたもので、1988(昭和63)年にはサイロ跡や石碑などと共に復原されました。茫漠とした辺りの風景が往時の労苦を忍ばせます。 [建設年]1893(明治26)年[構造]木造1階建 |
|
|