■概要・見所 1799(寛政11)年の徳川幕府による蝦夷地直轄以来、官吏をはじめとする倭人は増え、彼らの葬礼や追福などに当たる僧侶が必要とされていました。またロシア人南下で、切支丹が千島列島に広まりつつありました。このため幕府は1804(文化元)年、蝦夷三官寺を設置。蝦夷三官寺とは厚岸の国泰寺、様似の等ジュ院(ジュは樹のきへんがにすい)、そして有珠の善光寺をいいます。本堂と庫裏(くり:住職家族らの居室)はともに茅葺きの寄棟屋根で、創建当初の姿をよく伝えています。 [建設年]1804(文化元)年[構造]木造 |
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