■概要・見所 【歴史的建造物/北海道大学建築史意匠学研究室・原朋教】 太平洋戦争をはさんで、わが国の主要産炭地は九州から北海道へと移ります。以降エネルギー政策の転換まで、赤平炭鉱はその主翼を担いました。高さ43.8mの櫓はそのシンボルといえます。人員や鉱車を大量輸送した2列4段のケージは、秒速12mの巻き上げ速度で深さ650mの地中へ達します。建設工事は1959(昭和34)年から4年をかけ、20億円がつぎ込まれた一大建設事業であり、完成により飛躍的な増産体制が生まれました。 [建設年]1963(昭和38)年[構造]鉄骨 【産業遺産/北海道産業考古学会会長・山田隆大】 (炭鉱)道内の主要炭鉱は、第8次の石炭政策が終了する1991(平成3)年に4つが残った1つが住友赤平炭鉱である。町中でネオンの灯る立て坑が人気であった。赤平炭鉱は1918(大正7)年創業、39年住友進出、50年代の全盛期に4山70坑があり、59年に後術革新でドイツGHHと提携、高さ43m櫓、副列4段、72名乗りの立坑完成、世界的技術で300万トン年産の住友中心炭鉱に発展、平成6年閉山。立て坑は保存、平成13年の国際鉱山ヒストリー会議の会場、北海道遺産、産業考古学会推薦産業遺産に認定、全国的に有名となった。 |
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