■概要・見所 静内川流域に所在するシベチャリチャシ跡、ホイナシリチャシ跡、メナチャシ跡、オチリシチャシ跡、ルイオピラチャシ跡と、門別町厚別川上流に所在するアッペツチャシ跡をいいます。これらのチャシ跡は、1669(寛文9)年の「シャクシャインの戦い」と関連のあるものと考えられています。 ・アッペツチャシ跡(厚別川流域) 1648(慶安元)年依頼、静内川での漁猟をめぐり、シャクシャインとオニビシが争いを続けていました。その後1668(寛文8)年、シャクシャイン勢にオニビシが殺害されたのち、オニビシ勢が防備のために構えた要害跡がアッペシチャシ跡です。しかしこの要害も陥落。1669(寛文9)年には松前藩への援助をサルの首長ウタフが求めますが、断られましたが病死、松前藩による毒殺と伝わります。このことがアイヌの人々の松前藩への反感を強め「シャクシャインの戦い」へとつながっていきました。 |
|