■概要・見所 松前家の初代藩主・松前慶広がこの地に築城したのは、1606(慶長11)年のことです。その後の火災や修築などを経て、十七世藩主・松前崇広は1849(嘉永2)年7月10日、外国船の出没に備え津軽海峡の警備強化を図るため、幕府から築城を命ぜられ、城主大名になりました。 設計は当時の三大兵学者の一人である高崎藩の市川一学に一任しました。一学は海防上から福山は無理であり、箱館後方の桔梗野にある庄司山付近に築城するよう上申しますが、藩士たちは移転を好まず福山館を拡大して築城することになりました。 5年の歳月をかけ、1854(安政元)年9月に完成した松前福山城は、旧式築城では日本最後のものとなりました。完成した新城は面積約7万7800平方メートルで、本丸、二の丸、三の丸、楼櫓6、城門16、砲台7座を備えていました。 1941(昭和16)年に国宝に指定され、戊辰の役や開拓使の取り壊し、太平洋戦争にもかろうじて残った松前福山城天守閣でしたが、1949(昭和24)年6月5日未明に松前町役場から出火した飛び火により焼失してしまいます。 現在の天守閣は町民の切なる願いと、全国からの善意により1961(昭和36)年に再建されたものです。 |
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