■概要・見所 1854(安政1)年、松前家第17世崇広が幕府の命令を受けて、北方警備を目的として建てられた我が国最後の日本式城郭です。 設計は高崎藩の兵学者・市川一学が行い、本丸に三重の天守を、また、二の丸に二重櫓を3基有したほか、三の丸に砲台を7座配置したことが特異といわれています。 【歴史的建造物/北海道大学建築史意匠学研究室・原朋教】 かつての福山城本丸御殿にいたる正門。1606(慶長11)年と1849(嘉永2)年築城の旧城郭を取り壊し、新しい城郭を建設した際の御門です。石垣は凝灰岩を方形に加工し、隙間なく石をすり合わせています。背面の屋根は正面よりも急勾配とし、石垣の上端まで葺き下ろしています。1875(明治8)年開拓使は本丸御門、本丸御殿、天守を残し城郭の施設を解体。御殿の玄関は1982(昭和57)年まで使われ、現在は御門近くに保存されています。天守は1949(昭和24)年焼失。1961(昭和36)年に鉄筋コンクリート造で再建されました。 [建設年]1854(安政1)年 |
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