■概要・見所 1443(嘉吉3)年、津軽の管領・安東太郎盛李が南部義政に攻略され、領地を追われ、蝦夷地に渡った時、館を造ったことに始まります。のちに安東政季、茂別(下国)家政が守備しました。 1457(長禄元)年5月、コシャマインの乱の時、道南の10館は相次いで攻め落とされましたが、この茂別館と上ノ国町・花沢館だけが館の強固さからのこったといわれています。 茂辺地川左岸の標高約34m程の丘地の南端に位置し、南の大館、北の小館からなり、自然の沢で区画されています。大館、小館とも北、東、南の三方に土塁をめぐらせ、各館内にも仕切状の土塁があり、道南にある同時代の館跡中、もっとも雄大なものの一つで、土塁もよく保存されている貴重な史跡です。 |
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