■概要・見所 その昔から檜山地区は林業の盛んなところでした。厚沢部川流域において、木材を流送で輸送し、流送河口の土場(江差町の柳崎村)に陸上げしました。 現在の厚沢部町当路地区においても仙夫や流送人夫として林業に従事する若者が多かったのですが、当時地区には娯楽が少なく、若者たちは古くから土場に伝わった鹿子舞を見て感動し、若者たちが明治30年頃、地区に伝承した事が起源で、現在も続けられています。 踊りの動作は他地区の立ち踊りに中腰踊りを取り入れた形と同様でしたが、明治40年頃に中腰踊りを中心にした激しい踊りに変わってきたといわれています。 |
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