■概要・見所 この標石は開拓使が北海道の地形を正確に把握するため、1875(明治8)年に亀田村(現函館市田家町)と一本木村(現北斗市一本木)の間を三角測量の基線と定め、その両端に設置したものの一つです。 開拓使は明治6年、米人ワッソンを測量長に三角測量事業を開始、勇払と鵡川間に勇払基線を設定しました。翌7年から米人デイが測量を行いましたが、デイは勇払基線を検証するため荒井郁之助と函館付近を調査し、同8年、亀田と一本木間を助基線と定め基点に標石を建てました。 北海道の三角測量事業は我が国における本格的な三角測量の先駆をなしたもので、この標石は日本の測量史上、極めて重要な意義を持つものです。 |
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