■概要・見所 (水理土木)1880(明治13)年に手宮・札幌間に鉄道が開通したが、運賃が高くまた馬車での運搬に時間を要するなどから、開拓使は小樽銭箱と札幌を2本の運河でつなぐ計画を立て、1本は茨戸から現テレビ塔までの創成運河(岡崎文吉設計、札幌・茨戸間運河、幅7m、長さ11km、1897(明治30)年竣工。階段式8閘門付き、大友堀改修)、もう1本は石狩川花畔から銭箱までの銭箱運河(岡崎文吉設計、花畔・銭箱間運河、1897(明治30)年竣工。)により舟が通うようになりましたが、銭函運河は大雨による洪水で堤が決壊し水路の維持が困難となりその後埋立。創成運河は創成川で現存している。 |
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