■概要・見所 (港湾)明治期の小樽では、海岸線を埋め立てて造成した土地に、石造(小樽軟石)の倉庫が数多く建築される。その後、小樽の発展にともなって入港船舶の増加と貨物の流通量の増大により、港湾荷役の改善が図られるようになるが、最終的には運河方式による艀荷役となった。小樽運河は1914(大正3)年に着工し、10年近い歳月をかけて1923(大正12)年に竣工した。水路部分を残して沖合を埋立て造られたことから「埋立式運河」とも呼ばれる。幅40m、全長1324m。 港湾荷役が埠頭式となったことなどから、昭和30年代初めごろにはほぼ役目を終えている。昭和40年代には、運河を全面埋立する新しい道路建設計画が持ち上がったが、小樽の歴史を象徴するものとして保存運動が展開された。しかし、昭和62年までにほぼ半分の幅が埋め立てられて道路となったが、街路灯や遊歩道などが整備され今日に至っている。 |
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